就職活動と鬱

夕方、目の前を通り過ぎる電車を見つめて、漠然と死にたいと思った。

正確には「生きたい」という欲求がないと思った。

このままこの線路に飛び込めば確実に私は死ぬことになるのだが、それをすることによる影響を考えると足を踏み出すことにはならなかった。

 

「痛いのは嫌だな」

「電車の遅延にもなる」

「家族に莫大な金額の請求が鉄道会社からくるのかもな」

 

そう思って飛び込むのをやめた。

誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法を考えて、なんだか不毛な気がしてそれもやめた。

 

自分でも心が切羽詰まっているんだなと考えて、この考えを疲れのせいにした。

誰もがこんな感じだと。もっと言えば私よりも切羽詰まっている人間はいるわけで、私だけが辛いわけではないと。

 

LINEを開けば友人からのメッセージ。たわいもない話に、今思っていることをありのままに綴れば「美味しいものでも帰りに買って、おかずに一品足したらいい。少しでも幸福感を得て。」と返信があった。

 

駅ビルの総菜屋さんに立ち寄ってフロアを一周するも自分が何を食べたいのかもわからない。朝から何も食べていない。お腹がすいているはずなのに空腹感がわからない。

お肉が好きだから、と唐揚げや焼き鳥を眺めても店員さんに「これください」が言えない。人と話すのが億劫だった。

仕方がないのでコンビニに立ち寄ってみる。商品を手渡すだけで会話が殆ど必要ないからだ。

そこでも何が食べたいのかわからず結局そのまま帰宅してしまった。

 

そのことを友人に話せば「買い物ができないのは鬱の初期症状だと思うから、時間がある時に精神科なり行ってみたら?」と。

 

初めて本格的に鬱の心配をされた。

うつ病に対しての偏見も何もないが、父親は「うつ病は甘えだ」という考えの持ち主だったために、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。

考え方や、すべての活動におけるやる気の有無。簡単に言ってしまえば、私は普段からかなりの情緒不安定っぷりを友人たちに露見させている。

 

こんなにも情緒不安定になるのは原因がいくつかある。

 

まず一つは自分の価値を他人にすべて委ねてしまっているところ。

相手に必要とされたい、使える人間だと思われたいと強く思うが故に、他人に否定されることにひどく傷つく。それが「自分は何の価値もない人間だ」と考えてしまうことに繋がるからだ。

自分の価値を他人のものさしでしか測れない。そのものさしは接する人によって違うのに。だから自分の価値を見定めることもできない。どんなに誉められても、いい言葉をかけてもらっても、自分は頑張ってるって自信を持っていうことができない。

 

そしてもう一つは論理的でありたい自分と、感情的である自分が同居してしまっているからだ。

人の行動を分析して、相手の反応や考えを読むことが私にとってはとても重要で、コミュニケーションを図る上で必要なことだと思っている。

だから考えの裏付けをしっかりしたい、自分の考えを相手にわかるように伝えたいと考える。

しかし、全く筋の通っていない自分に対する意見・批判を面と向かって言われればまず初めに思うのは「お前に私の何がわかんの?」だ。

もちろん言われた後にその言葉を反芻して、そこで相手の言葉について分析する。

だが「頑張ってない」「努力が足りない」と抽象的なことで批判されれば腹も立つし、それが自分のことをあまり知らない相手に言われればなおさら「何がわかんの?」といった気持ちになる。

論理的な自分のインパルスは鈍足も鈍足で、感情的である自分は脳内神経をマッハで駆け巡るのであった。

 

 

ここで、私は二つ目標を設定したいと思う。

一つは情緒不安定をなくすための方策を考えること。

もう一つは自分の考えが醸成されたきっかけを知ること。

 

 

このブログは不定期で私の考えについて綴り、目標達成のために頭の整理をしていくことを目的としています。

就活、バイト、恋愛、友人、家族、周りを取り囲む環境で、何が一番つらいのか。私にとって大切なものは何か。自分の価値とは何か。

本来頭の中だけで考えるであろうことを、文章化することで明確にしていきたいと思っています。

同じ境遇で悩む人、私のような考えに反対の人、ご意見ある方はコメントにお気軽にお書きください。(もっとも何の検索ワードで私のブログにたどり着くかは全くの未知数ではある)

 

普段はお気楽大学生やってます。